杉並フェンシングクラブの沿革

Home » クラブについて » クラブの沿革

杉並フェンシングクラブの沿革

〜1987年春、吉祥寺 西武スポーツ館コミュニティ・カレッジ フェンシング教室にて活動(クラブ発足以前)。

1987年春、吉祥寺 西武スポーツ館 閉館。

1987年初夏、杉並フェンシングクラブ発足。初代会長は密田良一。コーチに広沢保彦、初代マネージャには八木宏之が就任。

上記コミュニティ・カレッジ フェンシング教室の会員であった密田氏の尽力により、永福体育館の使用が可能となり、フェンシング教室の元メンバーが集結して、クラブとして活動を開始する。また、日本フェンシング会館のコーチとして活躍し、その後、西武スポーツ館コミュニティ・カレッジ フェンシング教室のコーチを務めていた広沢氏が、杉並フェンシングクラブの代表コーチとなる(現在、広沢氏は池袋コミュニティ・カレッジ[http://www.7cn.co.jp/cc/]のフェンシング講座コーチ。また、千葉県で光ヶ丘フェンシングクラブ[http://www9.ocn.ne.jp/~hikarifc/]のコーチもされています)。初代マネージャである八木氏は吉祥寺のフェンシング用具店・東京フェンサーズ[http://www.tokyo-fencers.com/]代表であり、用具の整備等に携わる。

1994年、二代目・現会長に渕川晶子、二代目マネージャに綿野裕美が就任。

渕川氏は広沢コーチの日本フェンシング会館当時からの教え子であり、高校・大学・全日本選手権を全制覇、モスクワオリンピック代表(日本不参加)。また、綿野氏は、コミュニティ・カレッジ時代からの広沢氏の生徒であり、全日本選手権に東京代表として出場。

1997年、10年に渡るクラブの継続、都民大会における女子チームの長年の好成績が評価され、杉並区体育協会より特別賞を受賞。

〜2005年、綿野氏の地道な努力によりクラブを継続。また、このあたりから、有力な経験者が多数参加するようになる。

〜2009年、現在に至る。

杉並フェンシングクラブは、どなたでもフェンシングを楽しめるクラブであり続けるよう、努力しております。

光ヶ丘 フェンシングクラブ